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おにぎりとおむすび
「おにぎり」と「おむすび」の違いってなんだと思いますか?
この、「おにぎり」と「おむすび」の違いは、どうやら基本的には、なさそうです。
諸説あるのですが、一説として東日本では、「おむすび」と呼ばれていることが多く、西日本では「おにぎり」と呼ばれることが多いようです。
私は京都ですが、やっぱりおにぎりの方を使いますね。
おにぎりやおむすびのように握ったご飯、いわゆる握り飯は古くは「屯食」(とんじき)と呼ばれていました。江戸時代に入って女房詞(にょうぼうことば)の「むすび」がさらに丁寧な「おむすび」となったと言われています。「おにぎり」はすしのように軽く握るもので、町人や武士が使った言葉とされています。
※女房詞(にょうぼうことば)とは、広辞苑では、室町初期ごろから、宮中奉仕の女官が主に衣食住に関する事物について用いた一種の隠語的なことば。のちに将軍家に仕える女性から、町家の女性にまで広がった。
このほかにも呼び名については全国各地にいろいろあるようですよ。
「ふるさとおにぎり百選」(創造書房)によると、青森県が「にぎりまま」、沖縄県は「じゅしーめ」、栃木県は「おにんこ」、長崎県は「にぎめし」、山梨県は「むすび」。一般的な呼び方は「にぎりめし」等々際限がないですね。
呼び方だけではなく、握った形も地域によって違います
握り飯の形は三角形が主流でこれは、全国に分布しています。
それ以外の形としては、太鼓型は、青森・宮城・福島など東北地方に多い。俵形は福井・滋賀・奈良に多い。私は京都ですがお弁当のおにぎりは俵形でした。もっとも母が奈良県だったので京都=俵型かは、はっきりわかりません。(笑) ボール形は長野・山梨・愛知・富山・石川等中部・北陸地方に多い。
ただこれは、一般的に言われていることであり、先ほどの私の例のようにその家によって形は様々あると思われます。
おにぎりの歴史
日本人はいつ頃からおにぎりを食べていたのでしょうか?
1987年11月に今から約2000年前の「おにぎり」が能登半島の真ん中あたりにある石川県鹿西町(ろくせい)(現在は中能登町)の杉谷(すぎたに)チャノバタケ遺跡の竪穴式住居跡から発掘されました。
黒く炭化したおにぎりは弥生時代中期のもので当時は「日本最古のおにぎり」として大きな話題になりましたのでご存知の方もおられるかも知れませんね。
大きさは底辺約5センチ、他の2辺が約8センチの二等辺三角形、「ちまき」みたいな形でもち米を草木の葉で包み蒸されたのちに焼かれたものと見られています。
この「日本最古のおにぎり」がどういう用途であったかは、狩猟時の携帯食や軍用の非常食、お守りにしていたなど諸説ありはっきりとはわかっていません。
奈良時代にも『常陸国風土記』という当時の郷土誌のようなものに「握飯(にぎりいい)」の記述があるようですが直接のおにぎりの起源は屯食(とんじき)と言われてきました。
でも、それは古墳時代や弥生時代のおにぎりが発見されるまでの通説でしたので、この説もいずれ修正されることがあるかもしれませんね。
この屯食ですが平安時代の書物にも貴族のおともの人たちにふるまわれていたとあります。
おにぎりは、その後戦国時代では兵士の食べ物としても利用されたようです。一般的に庶民が食べられるようになったのは、江戸時代になってからのようです。昔話によくおにぎりがでてくるのも今と同じように広く親しまれていたのでしょうね。
おむすびの日とおにぎりの日
おむすびの日は1月17日です。
1月17日と聞くと、たぶん昭和生まれの方ならぴんとくるのではないでしょうか。そう、1995年の阪神・淡路大震災の日です。
震源地からかなり離れている京都市の北部に住んでいた私のところでさえ、飛び起きるほどすごい揺れを感じるほどの大地震でした。
では、なぜ阪神・淡路大震災の日、1月17日がおむすびの日になったのでしょうか?
被災された方々は着の身着のままで避難していました。情報もなく、食べ物や飲み物もなく、不安のどん底にいた被災者を助けたのがボランティアによる炊き出し(おむすび)だったのです。
そして、この大震災での体験をきっかけに、「ごはんを食べよう国民運動」がはじまりました。
いつまでも食料、とりわけ米の重要性、ボランティアの善意を忘れないために、ごはんを食べよう国民運動推進協議会では1月17日を「おむすびの日」と定めました。(2000年に日本記念日協会登録済)
このごはんを食べよう国民運動の協賛企業・団体は私たち米屋とも関係のある会社や団体が数多く協賛しているのでそういう意味では少なからず関係があります。
一方、おにぎりの日は6月18日です。
先にもご紹介させていただいた日本最古のおにぎりが関係しています。
下記は一般社団法人 日本記念日協会のおにぎりの日が記念日になった説明です。
1987年11月に石川県鹿島郡鹿西町(ろくせいまち=現在の中能登町)の杉谷チャノバタケ遺跡の竪穴式住居跡から日本最古の「おにぎりの化石」が発見されたことから、当時の鹿西町が「おにぎりの里」としての地域おこしのために制定。
日付は鹿西の「ろく(6)」と、毎月18日の「米食の日」と合わせたもの。中能登町では日本最古のおにぎりにちなみ、古代米を生産している。
2002年に一般社団法人 日本記念日協会の記念日となりました。
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